「ワシは脳をやられた…。もう助からん…」
1867年12月10日、慶応3年の今と同じような、凍てつく風吹き荒ぶ冬の事だった。
「名乗らんが、彼奴等(きゃつら)”禹”王の刺客じゃあ…。無念じゃあ坂本さん」
雲霞(うんか)の如き刺客の群れは、その日。日本の英雄たる一人の男を取り囲んでいた。
男の名は…、坂本龍馬。時代の、時代の麒麟児だった。
されど惜しいかな、その命最早助からぬ。天が味方せぬのではない、天が彼を殺そうとしたのだ。
神は時に残酷である。神は彼の生を望まなかった。
「唯一つ、そうじゃなぁ。唯一つの心残りは…。お前を死出の道連れにしてしまった事じゃろうか。せめて”彼女”が一刻早ければなぁ」
「こんなもんが、こんなもんがおるから…。こんなもんがおるからぁ…、誰も。誰一人幸せになれん!!」
「なぁに、言うな。信じているよ、信じているともさ。きっと、きっとなぁ…」
ズギューン。
何らかの閃光が坂本の脳を貫通したが、彼は地に伏す事無く立ちすくんでいた。
確かにその”異形なる刺客”に撃たれたと言うのに、彼は地に伏していない。信念すらを超越した”ナニカ”が未だ彼を現世に繋ぎとめていたから。
「なぁ”ウツロ”さんよぉ。ワシをやるなら、ちゃんとここを狙わんとなぁ…。まだ大丈夫さ、まだな…」
彼が笑みを零した時、中岡慎太郎はその意識が薄れ行くのを、自らの身を持って感じていた。
(こんなもんが、こんなもんがおるから…。こんなもんがおるからぁ…)
蒼く、そして黒い空から。さながら静かなる涙のように牡丹雪零れ落ちる。
“このやろう”
誰かがそう呟いた気がする。少なくとも龍馬の耳にはそう聴こえた。
幻聴かも知れない、だが彼には確かにそう聴こえたから。
「なんだ、そんな所におったんか…。どこに行ったかと、あぁそうか…。天が最後に…」
そこまで言いかけて、ふと彼は天を仰ぐと目を細めた。なんだかとても気分が澄み渡っていくのを龍馬は感じた。
涙の一滴が地に堕つる時。彼は動かなくなった。
全ての”ウツロ”を道連れに、彼は日本を救った。日本と言う国をたった一人で救い通した。
雪は深々と降り積もる。
声は遠くなっていった…。その声は遠くなっていった。
「逝ったか!!」
静寂を割ってそんな声がしたかと思うと、二人の男が龍馬死亡のその場に踊り込み立ちすくむ。
中岡の横たわる姿を尻目に、彼等は”それには目もくれず”『ある物』を探し始める。
「生きなきゃあ…、生きなきゃあ…!!」
「死ねないんだよぅ、ごめんよぅ…」
歯の根も合わず、ガタガタガタガタと。何かに怯える彼等は…。
一体何が恐ろしいと言うのだろうか?生暖かい風が吹いたような気がした。
“ひっ”
そんな小さな嗚咽のような悲鳴が聴こえたかと思うと、震えるその手で彼等は”それ”を拾い上げた。
「あった!!天は、天は我等を見捨てる事なかった!!」
黒い狭義は、その日掠め取られた。
お民だけが、それを知っていた。

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